ジェイムズ・ジョイスの『若い藝術家の肖像』を読んだ。
最初に正直に感想を書くと、かなり難解であった。もちろん難解さを承知で読む人がほとんどだろうが、海外文学への入門として読むことはあまりおすすめしない。
とはいっても、ジェイムズ・ジョイスの入門としてはこの『若い芸術家の肖像』になるだろう(あるいは短編集でいいなら『ダブリナーズ』)。
私は少し背伸びして『若い芸術家の肖像』を読んでみたので、とりあえず感想を記したい。
『若い芸術家の肖像』概要
初めに、少し『若い芸術家の肖像』について紹介したい。
「教養小説」としての『若い芸術家の肖像』
『若い芸術家の肖像』は「教養小説」というジャンルに分類される。
「教養小説」というのは、読んだら教養になる小説という意味ではなく、主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説のことである。
Wikipediaによれば、
ドイツ語のBildungsroman(ビルドゥングスロマーン)の訳語で、自己形成小説、成長小説とも訳される
らしい。
日本で言うと夏目漱石の『三四郎』などがこれに当たる。
『若い芸術家の肖像』の主人公は、スティーブン・ディーダラスというアイルランドの少年である。
スティーヴンの成長を描いた作品が『若い芸術家の肖像』であるが、もちろんスティーヴンには作者ジェイムズ・ジョイス自身が投影されている。
そのあらすじを次に紹介しよう。
『若い芸術家の肖像』あらすじ
本書のあらすじ・構成は、簡単に書くと次のようになる。
物語は幼少の記憶から始まる。
幸福な幼少期ののち、スティーヴンは6歳でイエズス会系の寄宿学校クロンゴーズ校に入学する。小山内スティーヴンは学校生活で色々な困難に直面するが、ある日無実の罪で教師に折檻されたことを校長先生に直訴したことから、次第に他の生徒にも認められるようになっていく。
しかし、スティーヴン10歳ころ、ディーダラス家は没落し、スティーヴンはクロンゴーズ校を去らざるを得なくなる。スティーヴンは同じイエズス会系のベルヴェディア校に転学する。
その後スティーヴン15歳ころ、スティーヴンは作文で賞金を得る。スティーヴンは色々と浪費し、娼婦と関係を持つ。
スティーヴンは、堕落した自己に対して罪の意識をぬぐうことができない。
――たとえば、カトリックの最高権威者であるローマ法王は建前上童貞とされているが、これまで厳格なカトリック教育を受けてきたスティーヴンは、自らが純潔を失ったことに酷く思い悩む。
一方、学校内では優等生の体面を保ち、監督生としてふるまっていた。
そんな中、スティーヴンは校長先生から、聖職につくことを薦められる。
――「イエズス会の聖職者」といえば、日本で一番有名なのはフランシスコ・ザビエルだろうが、ザビエルのような人生を歩むことを薦められたのである。もちろん、本書にはフランシスコ・ザビエルは登場する。
しかし、スティーヴンは、芸術家になりたいという夢と、聖職者という薦めで葛藤する。
そして、スティーヴンはアイルランドを飛び出して芸術家になる決意を固めていくのである……
『若い芸術家の肖像』感想
以上ようにあらすじだけ書き出してみると、割と簡単な筋書きに思えるかもしれない。
だが、『若い芸術家の肖像』という小説は、表面的な出来事よりも内面の思考に重きを置いた小説であるので、実際に読んでみると筋書き以上に難解である。
「意識の流れ」
このような「意識」を重視する小説技法が、『若い芸術家の肖像』では使用されている。すなわち、「意識の流れ」と呼ばれる技法である。
『若い芸術家の肖像』は、スティーヴンの幼少時代から始まるが、物語序盤は「幼少時代のスティーヴンの意識」を描写している。
そのため、物語序盤は非常に平易な言葉で描かれる。
たとえば、『若い芸術家の肖像』の書き出しは、次の通りだ。
むかしむかし とてもたのしいころのこと いっとうのうしモーモーが みちをやってきて みちをやってきたこのうしモーモーは かわいいちっちゃなおとこのこにあったとさ
――スティーヴンが幼児の時は、幼児の言葉で描写される。そして、スティーヴンが成長するつれて物語の文章も非常に難解になっていく。
主人公の知的レベルの成熟度合いによって、文体が変化するのである。
この文体の変化と、その基底にある「意識を重視する」という「意識の流れ」の技法が、『若い芸術家の肖像』の形式上の特徴である。
アイルランド国民という特殊性
『若い芸術家の肖像』の内容面としては、まず主人公がアイルランド人であるということが重要になる。
アイルランドというと、ほとんどイギリスのようなものだと思われる方も多いかもしれないが、アイルランドとイギリス(イングランド)には大きな違いがある。
その一つは、アイルランドはカトリックであるということである。
スティーヴンは、幼少期からカトリックの教育を受ける。カトリックは、スティーヴンの非常に大きなアイデンティティである。あらすじにも書いたように、彼は聖職者になることも考える。
――しかし、最終的には聖職者の道を捨て、芸術家を目指すのである。
物語終盤、スティーヴンは「宗教」の義務を放棄するような行動もとるようになるが、これは非常に示唆的だろう。
そして、アイルランド人としてのナショナリズムについても考えていく。 アイルランドはかつてイギリスに支配され、現在、南アイルランドはイギリス(UK)に、北アイルランドはアイルランドとして独立している。
スティーヴンは、このような複雑なアイルランドの境遇について級友と議論しながら、人格的にも成長していく。
「ダイダロスの神話」
このように、スティーヴンは、アイルランドが置かれた現状に満足しない人物であると読み取ることができよう。
ところで、ジェイムズ・ジョイスといえば、一番の代表作は『若い芸術家の肖像』ではなく『ユリシーズ』である。『ユリシーズ』はギリシャ神話の『オデュッセイア』を範にした物語である。
スティーヴンも、姓は「ディーダラス」であるが、ギリシャ神話にも「ダイダロス」という人物が登場するのと無関係ではないだろう。
ダイダロスは、ミノス王によって塔に幽閉されたが、人口の翼を作って脱出した(このとき、息子のイカロスは太陽に近づきすぎて死亡した)。
このような点からも、スティーヴンを主人公とする『若い芸術家の肖像』は、ダイダロスのような「脱出」をモチーフにしているのではないかと思う。
だが、そこでスティーヴンは愛国心やカトリック信仰を失ったわけではない。人格的に成長したことによって、スティーヴンは祖国を離れる決意をしたのである。
おわりに
ここまで『若い芸術家の肖像』について書いてきたが、最初に書いたように『若い芸術家の肖像』は難解な小説である。
しかし、極限まで「意識」に着目した作家であるジェイムズ・ジョイスの作品に触れたいという方や、アイルランドに興味がある方には、ぜひおすすめしたい。
難解ではあるが、読むことができてよかったと思える小説である。
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