不眠の子守唄

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開戦を経済学者は支持したのか?ー牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』感想

先の大戦で日本がアメリカに戦争を挑んだのがあまりに無謀な挑戦であったことは、現代的な観点からさすがに疑いの余地はないだろう。しかし、なぜ無謀な挑戦が行われたのかという課題は、今にいたるまで多くの歴史家にとって解き明かすべき謎となっている。

 

この謎に「秋丸機関」という経済学者たちの集った研究機関に着目し、経済学的観点から挑戦するのが、今回紹介する牧野邦昭「経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―」である。

ちなみに、この本は2019年吉野作造賞を受賞した本でもある。

経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―(新潮選書)

本書の構成

本書の章立ては、以下の通りである。

第一章 満州国と秋丸機関

第二章 新体制運動の波紋

第三章 秋丸機関の活動

第四章 報告書は何を語り、どう受け止められたのか

第五章 なぜ開戦の決定が行われたのか

第六章 「正しい戦略」とは何だったのか

第七章 戦中から戦後へ

詳細は以上の通りであるが、非常に大まかに本書の構成を分けると、「秋丸機関」について述べた第一部と、日本が開戦に至った理由を経済学的観点から述べた第二部に分けられている。

「秋丸機関」とは何なのか 

「秋丸機関」と有沢広巳

本書前半部では、テーマとなる「秋丸機関」についての考察が行われる。

 

秋丸機関とは、次のような組織である。

秋丸機関(あきまるきかん)とは、ノモンハン事件後の1939年9月に、総力戦を経済面から研究するために、日本の陸軍省経理局内に設立された研究組織。正式名称は「陸軍省戦争経済研究班」、対外的名称は「陸軍省主計課別班」。(Wikipediaより引用)

秋丸機関は陸軍の組織であるのだが、この研究組織には民間の経済学者も多く含まれていた。経済学者の中の一番の大物は、有沢広巳である。彼こそが、本書の主人公の一人出るといっても過言ではない。

有沢広巳というのは、当時「人民戦線事件」、すなわちマルクス主義との関連を疑われた事件で係争中だった人物である。そのような人物が陸軍の組織に召集されたというのは面白い点であり、本書の魅力の一つであるが、ここでは割愛しよう。

「秋丸機関」報告書の実像

この「秋丸機関」というのは、日本が開戦するにあたって、他国(特に米国)との経済力の差がどのようであったかを分析した機関である。

 

そして、秋丸機関の報告書は、極秘の書物として完全に焼却されたと考えられてきた。だが、本書は、そのような「幻の報告書」が、本当に「幻」であるのかを解き明かす。

 

筆者は、すぐれた史料捜索能力によって、秋丸機関の報告書を(すべてではないにしろ)復原することに成功する。そして、報告書の実像を明らかにする。

 

史料の所在を丁寧に解説している点は、本書が歴史学研究書として優れている点である

 

そして、明らかになった報告書の実状が、なぜ開戦を招く結末となったのかが明らかにされる。

なぜ開戦に至ったのか?

下知識的な説明が長くなってしまったが、「なぜ開戦に至ってしまったのか?」というのが本書の本題である。

報告書の受け止められ方

秋丸機関は、実際に日米の経済力の差を説いていた。

 

だが、秋丸機関は本来陸軍の機関である。「開戦すれば絶対に敗戦する」とはなかなかいうことができなかった。

結局このような忖度によって、「このような場合は勝てるかもしれない」という可能性も報告書では示された。

 

一つには、「独ソ戦でドイツがソ連に勝ち、イギリスにも勝てば短期決戦で決着する」というような具合である。

だが、このような「わずかな可能性」こそが強硬派の空気の中で伝わってしまったことに、悲劇があったのである。

行動経済学による開戦の説明

当然開戦のリスクが高いことは、皆が承知していた。

 

だが、開戦は決行された。

筆者は、これを行動経済学的な観点から説明する。

人間は、必ずしも期待値の高い行動をするわけではない。

 

例えば筆者は次のような例を挙げる。

1. 100%の可能性で3000円払う

2. 80%の可能性で4000円払うが、20%の確率で1円も払わない。

当然、損失の期待値が高いのは2であるが、多くの人が2を選択するという。

 

(ちなみに、「払う」ではなく「もらえる」の場合、獲得する期待値が高いのは2であるのに多くの人が1を選択する、という話を聞いたことがある)

 

太平洋戦争は、「確実に何かをとる」戦争ではなく、「このままではジリ貧」という切迫感から生まれた戦争である。

 

そのような場面だったからこそ、日本は「ギャンブル」にかけたのである。

以上のことを経済学的に説明するのが、本書である。

 

当時の指導者の問題

そして、もう一つは当時日本に強権的な指導者がいなかったことも挙げられる。

 

強権的な指導者不在では、極端な選択肢が採られやすいという。まさに当時の軍部では、「船頭多くして船山に上る」という構図が生じていたのである。

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おわりに

この本は面白い部分が多くあり、この記事でその魅力を余すところなく伝えたとは全く思えない。

 

だが、筆者の言いたかったテーマは、次のようなものではないかと思う。

 

人間は不合理な行動も時に取る性質を持っている。そうであるから、データを正しく算出することだけでは、時に意味を持たないこともある。

データの伝え方が重要なのである。

 

筆者は「開戦しなかった場合のメリット」を提示した場合にどうなっていただろうかと考える。

開戦を避けるため必要だったのは、正しいデータだけではなかったのだ。

 

人間が「ギャンブル的なこと」にも惹かれやすい性質を理解した上で、冷静に

 

これは、非常に現代的な示唆にも富んでいるテーマであると思った。

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