不眠の子守唄

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殺人犯の心理に迫るノンフィクション・ノベルートルーマン・カポーティ『冷血』あらすじ・考察

トルーマン・カポーティというと奔放な女性を描いた『ティファニーで朝食を』のイメージが強いが、ノンフィクション・ノベルという分野を開拓した小説家でもある。カポーティが「ノンフィクション・ノベル」という境地を開いた作品こそ、この『冷血』"In Cold Blood"である。

私自身このブログでよく紹介しているように海外文学が好きで、それに加えてもともとノンフィクションが好き(たとえば殺人事件や飛行機事故などについてのWikipediaを読んだりするのも好き)なのだが、その二つがアウフヘーベンされたのがこの作品である。

ノンフィクションと海外文学が好きな人には絶対の自信を持ってお薦めしたいこの作品について、今回は紹介したいと思う。

冷血 (新潮文庫)

トルーマン・カポーティ『冷血』あらすじ

『冷血』は、実際に起きた「クラッター一家殺人事件」をモデルにしている(クラッタ―一家殺人時間については、英語版のウィキペディアには記事もある)。

 

事件の被害者は、カンザス州のホルカム村の名士ハーブ・クラッタ―氏と、その妻ボニーと、三女ナンシー、長男ケニヨンの4人が無残に殺害される(長女と次女はすでに結婚して家を出ていた)。彼らは手際よく縄で拘束され、散弾銃で頭を撃ち抜かれていた。

 

だが、クラッタ―家からは、金品は殆ど盗まれていなかった。クラッタ―氏は小切手でほとんどの支払いを済ませ、現金を持ち歩かない主義のものだったのだーーこのことは、ホルカムの住民ならだれでも知っていた。

だとしたら怨恨か? ーーしかし、それも考えられない。クラッタ―一家は、誰にも恨みを買わないような人物だったのである。

 

捜査は難航を極め、村人たちは恐怖する。

 

ーー犯人は、リチャード・ディック・ヒックコックという人間と、ペリー・エドワード・スミスという二人だった。彼らは、ホルカム村から離れたカンザスシティーの住人だった。

 

彼らは完全犯罪を成し遂げたつもりでいたが、ある証人が名乗り出たことによって捜査は進展する。

そして、彼らの犯行と、生い立ちが明らかになる......

 

トルーマン・カポーティ『冷血』考察

以上のような殺人事件について描いたのが『冷血』である。『冷血』は膨大な取材をもとに書かれ、もちろん人名も実在の人名である。

 

この点で完全な「ノンフィクション」なのだが、トルーマン・カポーティの筆によって書かれた作品ということもあって「小説」として全く遜色ないという感想を抱く。

実在の事件をそのまま描写したからと言って、文学的価値が損なわれているわけではないのである。

それでは、どこに『冷血』という作品の価値があるのだろうか?

人物の描き方の巧みさ

『冷血』の最大の価値は、被害者・加害者・その周辺人物の描き方が上手いことである。描き方が上手いうえ、実在の人物をもとにした話なので、設定に違和感があるなどということもない。

 

地元の名士クラッタ―氏が悲惨な事件で亡くなった時、地元の住民はどういう反応を示すだろうか?

事件に対して、捜査官はどのように推理するだろうか?

ーー当然だが、このような人々の動きのリアリティは、小説を完全に超越している。小説を超えた現実なのだから当然である。

だが当然、事実を羅列しただけではリアリティは生まれない。そこにカポーティの才能が発揮されている。

 

しかし、カポーティが一番力を入れて描写しているのは、犯人のうちの一人であるペリー・スミスである。

カポーティのペリーへの共感

ペリーは、もう一人の犯人ディックに誘われて犯罪を犯す人物として描かれている。

 

ペリーは仲の悪い両親のもとに生まれ、修道院に入れられたりと複雑な家庭環境の中で育った。そして、それゆえに正規の高等教育を受けることができなかった。ーーペリーは、一生エリートというものにあこがれ続けた。

 

これは、作者トルーマン・カポーティの境遇とも一致する。カポーティ自身も親戚の家をたらいまわしにされた幼少期を過ごし(この様は、後述の『アラバマ物語』にも描かれている)、正規の高等教育は受けられなかった。またペリーは身長が低い男と描かれるが、カポーティの身長も160cmであり、共通している。

 

そして、カポーティもペリーも芸術の才能を持っていた

カポーティは文学的才能を生かすことができた。ーーだが、ペリーは自分の芸術的才能ーーギターとハーモニカの音楽的才能や絵画の才能ーーを生かすことができなかった。

 

カポーティはそんなペリーに共感したところがあったのだろうか、作中のペリーの描写には力が入っているように思える。

映画『カポーティ』と、「冷血」というタイトル

ところで、この作品の『冷血』という題は、殺人犯の「冷血」を指すとも解釈できるが、もう一つにはカポーティの「冷血」を指すという解釈もある。

『冷血』という作品は、ペリーとディックが死刑執行されないと完成されない

カポーティも作品は発表したい。だが、ペリーに共感と友情を感じ始めているのも事実であった。

ーーカポーティは、この葛藤に悩み、自分こそ「冷血」なのではないかと悩み、結果として作家人生を絶たれることになった。

 

あらすじは以上のような感じだが、このように考察した作品が映画『カポーティ』である。主演のフィリップ・シーモア・ホフマンはこの作品でアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、2014年にオーバードーズで亡くなった。

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 「なぜ殺人犯は殺人を犯したのか」

話が変わるが、『冷血』に描かれたテーマで今でも通用するのは、なぜペリーとディックはクラッタ―一家を殺してしまったのか? というものだろう。

 

不条理な「殺し」をしてしまうペリーとディックには、昨年(2019年)大ヒットした宮口幸治さんの『ケーキの切れない非行少年たち』に描かれていた「非行少年」像にも重なるところがある。

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ペリーは、一応知能はあり、「ケーキを切れる」人間ではあるーーおそらくペリーにそのようなレッテルを貼ったら激昂しただろう。

だが、長期的な計画性に欠けていたり、判断力や共感する力に欠けていたりする点は、「ケーキの切れない非行少年」と重なる点が多い。

 

『冷血』はノンフィクションであるがゆえに犯罪を犯してしまったものの心理を描いた本としても優れている

教育心理学を学んでいる人も、『冷血』を読んだら新たな発見があるのではないだろうか。

「ノンフィクション作品」としての『冷血』批判

ここまで『冷血』の文学作品としての価値・ノンフィクションとしての価値について書いてきたが、『冷血』のノンフィクションとしての価値に疑問を投げかける人もいるようである。

ーー『冷血』に書いてある事実には、歪曲も含まれていると。

 

たとえば、アル・デューイを英雄的に書きすぎているという批判もあるようである。

ウォールストリートジャーナルの記事より)

 

この点は、小説としての『冷血』にも批判できる点である。捜査官が迅速果断過ぎるのは「小説として読むなら不満」であると私は思っていたが、実際にこの部分は「小説」だったわけである。

だが、このことはカポーティが捜査官を英雄として書こうとしたというよりも、むしろ犯人であるペリーたちにより多くの描写を割きたかったからではないかーーと私は思う。

『冷血』は「歴史的事実」として鵜呑みにしてはいけないのかもしれないが、文学的価値の高さは変わらない。

 

おわりに

ここまで書くのを忘れていたが、『冷血』を読む上での注意を一つだけ書いておこう。

この作品は殺人事件について描いた作品なので、当然殺人シーンが存在する。ーーそして、カポーティの描写力によって緊迫感のあるシーンに描かれているので、殺人シーンが苦手な方にはお薦めできない(あるいは、殺人シーンを察してそこを飛ばして読むことをお薦めする)。

私もWikipediaで殺人事件の記事を好んで読んでいるような人間だが、『冷血』の殺人シーンはちょっと精神的に堪えた。

 

ただ、それを除けば『冷血』はノンフィクションとしても、文学としても優れている。 

犯罪者の心理を描き、巧みに描写した傑作である。

冷血 (新潮文庫)

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▼関連記事

新潮文庫版でカポーティが献辞をあてている二人のうちの一人であるネル・ハーパー・リーは、アメリカの国民的小説『アラバマ物語』の作者である。

リーはカポーティと幼馴染であり、『冷血』の取材にも同行した。また、リーの著作『アラバマ物語』にも、幼い頃のカポーティをモデルにした少年ディルが登場する。この作品のディルと『冷血』のペリー・スミスの幼少時代を比較すると、たしかに類似点がある。

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