不眠の子守唄

書評ブログ。たまに洋楽や美術館。読書は海外文学・新書・古典etc.

マンガは芸術か

マンガは芸術なのだろうか。

 

高尚な芸術論を語るほどの素養はないが、少しこの問いについて考えようと思う。

というのも、最近マンガを読み直していて、文学作品と全く遜色ない読後感を持つものが多いと感じるからである。そのような漫画については、今の私を成り立たせているものとして別稿で紹介したい。

 

改めて、「マンガは芸術なのか」という問いを、マンガのどのような点に芸術性があるのかという点から考えていきたい。

まずは、マンガは「美術」であるのか考えたい。

これについては、案外答えるのが難しいかもしれない。もちろん漫画家の中には驚嘆すべき画力を持っているような方々も多く、マンガを描く以外にもイラストレーターとして活躍の場を広げている方も多い。

 

画力が純粋に芸術の域に達していると評価される漫画家としては、AKIRAなどの大友克洋が代表だろう 

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photo by Unsplash

しかし、画力が高くない作品であればそれは「芸術」に値しないのか? と言われれば、そうではないだろう。それに、画力が高い漫画家によるマンガは、すべて「芸術」であると言えるのか? と言われたら、それもまた違う。

 

絵は漫画家の表現者としての表現方法の一つだが、すべてではない。

 

次にマンガが、「文学」として芸術足りうるかを考えようと思う。

 

「文学」にもいろいろな定義がある。「文学」の対象を、散文と韻文のみに限ってしまえば、マンガは文学と認められない。これは仕方のないことである。

 

しかし、ここではより広く、ストーリーの表現方法としての文学というものをとらえたい。

 

良いマンガを読めば、マンガにしかできないストーリーテリングの方法が使用されていることに気づくだろう。 無駄に具体例を語りたくはないので、これは良いマンガを読んで探してほしい(いらぬヒントを与えれば、マンガで使われる回想シーンや伏線回収は純粋な「文学」に置き換えることがなかなかできない表現であるものが多いだろう)。

 

このような、他にできないストーリーテリングの方法を持っているという点で、マンガは立派な文学であり芸術の一方法である。

 

マンガが「文学」たりうるか、ということについては、マンガの絵が果たす役割も多い。いや、むしろ絵が半分以上の役割を果たしている。

というのも、コマ割りや構図がストーリーテリングに果たす役割は非常に大きいからである。それに、例えばマンガは絵を持つがゆえに、「無言」という表現にも無限の意味を持たせることに成功した。

 

この点で、マンガは既存の文学を超越している。

 

私の考えでは、マンガの芸術的価値はどちらかといえば「文学」の方にある。

 

それは、マンガにおける絵はそれ自体が芸術なのではなく、ストーリーテリングの手段であるからだ。

 

もちろん主役でないとはいえ、絵の巧みさなしにマンガは芸術足りえない。

 

マンガは「文学」と「美術」の二つの性格を具有しており、そしてその境界領域にあるがゆえに、マンガは従来「芸術」として正当な評価を受けてこなかったという点は明らかだろう。

 

ところでマンガがいまだに芸術かどうかの議論に上がってしまうのならば、その理由にはマンガ側にもあるかもしれない。

つまり、マンガの中に低俗なものも多いがゆえに、それらとマンガ全てが同一視されてしまっているのではないかということである。

 

マンガは芸術の一方法ではあるが、マンガ全てが芸術なわけではない。

だが、これは文章や絵画であっても同じことである。

 

では、この違いはどうして生まれてしまったのか。

 

その理由は、マンガの芸術性・文学性が世間にあまり認知されていないことに尽きるだろう。

 

そうであるから、我々読者としてすべきことは、良いマンガを見る目を養うことであり、そして読者として良いマンガを広め、育てていくことが重要なのである。

 

私はこれを漫画の読者の一つの使命であると考えている。

 

このブログでは、適宜私がよいと思ったマンガについて紹介していきたい。