不眠の子守唄

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マスク不足の今こそ、デスマスクの歴史を読み直そう?!ー岡田温司『デスマスク』レビュー・感想

「マスク」が何かと話題な今日この頃である。関連してというわけでもないが岡田温司デスマスク』(岩波新書)を読んだ。

デスマスク」について、その歴史と、西洋においてそれが持った意味について記されている良書である。この本を手に取った時はある意味で岩波新書っぽくないテーマに思えたのだが、読了時に感じた知的な満足感は、まさに岩波新書の真髄という感であった。今回は、この本について感想を記す。

デスマスク (岩波新書)

デスマスク」章構成

本書の章構成は次の通りである。

はじめに

第1章 古代ローマの先祖崇拝

第2章 「王の二つの身体」

第3章 教皇の身体

第4章 ルネサンスの蝋人形

第5章 ジャンセニストの死面

第6章 ギロチンとフランス革命

第7章 近代の天才崇拝

第8章 「名もなきセーヌの娘」

おわりに

構成としてはわかりやすく、そのまま時代順で西洋のデスマスクの歴史について語っている。(「おわりに」では、日本のデスマスクの歴史についても語られる。)

 

だが、それぞれの章において、デスマスクが作られた目的は異なっている。ここに、この本の語るデスマスクの歴史の面白さがある。

 

なお、第5章の「ジャンセニスト」という単語は私は初めて聞いたが、ジャンセニズムを信奉した人々のことであるという。

ジャンセニスム(Jansénisme)は17世紀以降流行し、カトリック教会によって異端的とされたキリスト教思想。ヤンセニズム、ヤンセン主義ともいわれる。人間の意志の力を軽視し、腐敗した人間本性の罪深さを強調した。(Wikipediaより抜粋)

彼らには、デスマスクを作成する習慣があった。だが、なぜ彼らはデスマスクを作ったのか? という謎に迫るのが、第6章である。

 

「王の二つの身体」

ここからは、個人的にこの本で面白かった箇所を記す。個人的には、第二章「王の二つの身体」に興味を惹かれた。

カントロヴィチの「王の二つの身体」

「王の二つの身体」という言葉は、ご存知の方も多いと思うが、ドイツ出身の歴史学者カントロヴィチの言葉である。

この「王の二つの身体」というのは、一つは「自然的身体」であり、もう一つは「政治的身体」である

 

当然、自然的身体というのは、言葉のごとくひとつの生命体としての王である。であるから、実態を持ち、必ず死ぬ。

だが、政治的身体というものは、目に見える存在ではない。そして、死なない。

 

ここで、王位の継承について問題が生じる。王の身体が死んだとき、王の政治的身体はどうなるのか?

すぐに新王が即位すれば問題ないかもしれないが、実際には即位の儀式をすぐに行うことなどはできない。つまり、王の自然的身体が死を迎えるばかりに、王位に空白期間が生まれてしまうのである。

 

この「王の二つの身体」の乖離を防ぐために利用されるのが、ほかならぬ「デスマスク」なのである

 

本書から該当部を紹介しよう。フランソワ1世(在位1515-1547)の葬儀の記録である。

本物の遺体の入った柩は大広間の隣の小部屋に安置されたままだが、主役となるのはいまや遺体そのものではなくて、デスマスクから作られた蝋人形のほうである。

それは11日間ものあいだ、大広間のベッドに置かれたまま、毎日王が生きているかのような芝居じみた儀礼が繰り返されるのである。

たとえば召使たちによって、生前とまったく同じかたちで食事、つまりパンや肉料理、ワインや水がサーヴされる。

(中略)

あたかも王がまだ生きているかのように万事は進行するのである。

そして、この蝋人形は、新王(ここではアンリ2世)が即位したときに、晴れてお役御免となる。

ここでようやく、フランソワ1世の「政治的身体」は死を迎え、同時に「自然的身体」もまた死を迎えることが許されたからである。

 

ここに、中世ヨーロッパにおける王のデスマスクの役割の一つがあった。

 

なお余談ではあるが、日本の天皇について「王の二つの身体」という問題を提起している本としては、加藤陽子責任編集「天皇はいかに受け継がれたか 天皇の身体と皇位継承」がある。

天皇はいかに受け継がれたか: 天皇の身体と皇位継承

天皇はいかに受け継がれたか: 天皇の身体と皇位継承

  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: 単行本
 

教皇の身体」

話を中世ヨーロッパに戻そう。

 

中世ヨーロッパといえば、世俗の権力である国王のほかに、教皇という存在を語ることを避けて通れない。

 

教皇デスマスクを作ったのか? というのが、第3章である。

答えは、「教皇デスマスクを作った」なのであるが、王の目的と一緒ではない

 

というのも、「教皇」は死ぬものであったからである。

教皇の「自然的身体」が死んだ場合、その政治的権能は枢機卿たちに移されることが制度化されていた(そして、コンクラーヴェによって新教皇を決めるのである)。

 

そうであるから、人間の生命を形式的に延ばすためのものとしての「デスマスク」は、教皇には不要であったといえる。

 

このように、デスマスクを作る理由というものは、時代と立場によってかなり違っていたのである。

おわりに

本書では、「デスマスク」は、「聖なる存在」かつ「呪われた存在」(=ラテン語の「サケル」…英語のsacredの語源)であるという記述がしばしば出てくる。

「サケル」という言葉は、アガンベン『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』でも有名だろう。

古代ローマでは、ある種の犯罪者は「ホモ・サケル」と呼ばれた。このような人物の特徴として、彼らを殺しても罰せられず、一方で彼らは神へのいけにえとすることができなかったのである。「サケル」という言葉は、「聖なる」という意味を持つ一方で、「呪われた」「汚れた」存在でもあるのである。

確かにこの両義性をデスマスクも持っている。デスマスクとは、時に芸術的な美しさにはっとすることもあれば、同時におぞましさにぞっとすることもある。

 

そんな「2枚のマスク」に思いを馳せるながら、この本を読んだ。

デスマスク (岩波新書)

デスマスク (岩波新書)

  • 作者:岡田 温司
  • 発売日: 2011/11/19
  • メディア: 新書